総括とはいかないまでも、修士1年を終えて思ったことをつらつらと書きたいと思います。なお本記事を読むに当たり、最初に申し上げたい注意点が2点あります。
1点目は「認知的不協和バイアス」です。私はある国内MBAに入学して勉強を続けています。その行動や結果に対し、私は無意識的になんらかの妥当性を得ようとするバイアスがかかっている可能性があります。あくまで個人の感想ですので、その点をご留意いただければと思います。
2点目は特に教育界・研究界に物申すつもりはありません。日本の社会人学生の比率はOECD平均と比べ圧倒的に低いとか、大学が社会人教育を拡充しているのは18歳人口減少に伴う生き残りのためだとか、そういう議論は置いておいて、あくまで私の得た感想を述べたいと思います。そのほうが、このブログの趣旨に合うと思います。
社会人が大学院で学ぶ意義
March(1991)は、組織が外部環境に対し中長期的に適用し続けるためには、二つの戦略的な課題に同時に対処する必要がある、としています。一つは、自らの強みを発揮すること、もう一つは、新たな強みを確保することで、前者は「活用」、後者は「探索」と定義しています。
歴として表に出せることは、大きな違いだと考えます。
社会人にとっての「探索」の場、それが大学院だと考えます。
参考文献
March, James G. (1991)“Exploration and Exploitation in Organizational Learning,” Organization Science, Vol.2,No.1, February 1991